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2013年1月7日月曜日

煮だして飲む漢方

 あけおめ、ことろよ、で、ございます。


昨日より今年初のせーりが始まっています。直前に腹痛がありましたが、これまでの腹痛とは少々様子が違って、どうやら手術跡と思われる部分がキリキリとしたするどい系の痛み。せーり初日の昨日は頭痛もあって、久しぶりに鎮痛剤を飲みました(一錠のみ)。

明けて今日は月曜日。たまたま有給休暇を取っていたので、朝ゆっくりと起き、二日目のせーりをやりすごすために、たてていた予定をリセットしてのんびりと過ごすことにしました。お血量はやはり二日目なのでそれなりのもの。果たしてその量の勢いがどうなるのか、ドキドキして見守っています。本日の写真は、台湾の漢方街で購入してきた煮出して飲む漢方薬です。あらかじめお茶パックのような布袋の中に調合した漢方数種類が入っています。水から煮出していくのですが、形容しがたい独特の匂いがするので、換気扇をフル稼働。色は真っ黒、味は「これぞ漢方!」というカンジです。

二日目のせいか、それともこの漢方のお蔭か、さきほどから、ナプキンを取り替える度にどどーっと血液の塊が下りています。先月12月に、術後2回目せーり終了後の術後検診で、子宮の傷口癒着防止用に入れていた糸・ネットを取ってもらって以来、せーり直前も含めて、傷口の痛み的な腹痛がときどきありました。しかしながら、術後直後から今日まで、傷口のかさぶたが取れたことによる出血はなかったので、今下りて行っている血液塊はかさぶた??と、考えてみたり。。。

先月の糸・ネットの摘出が、まさに冗談のような処置作業で:
担当医リリー「あれ、糸が見えないな。あれ、あれ、あれーーー??」
はるぽん「(!?!?!?!?!)」
リリー「(エコー画面を見ながら)これかな、これ?あー、これね?じゃ、取り出しましょう。あれ、ないな、やっぱり見えないな、あれ、あれ、あれーーー??」
はるぽん「(泣きそう、吐きそう)(!?!?!?!?!)」
リリー「おお、取れた、取れた、奇跡的に取れた。見えないんだけど、カンシでつかんでみたら取れたよ、奇跡だな、奇跡」

カンシがぐおーっと子宮内に入ってきて、ずぼぼーっとネットを引きはがしたときは痛みと衝撃で目から火花が出ていました。はるぽん、撃沈です。。。それにしても、処置に「奇跡」という表現はいかがなものですかねー、リリー(フランキー似の担当医)。まるで子供のようにキャッキャと周りの看護士に自慢げに話しておりましたけどぉぉ。

その後、ちょとした出血があったものの、痛みに比べたらそれほど大したものではなかったので、術後かさぶた取れ後の大出血、というカンジではなかったのですよ。

今のところ、夜用ナプキンは5-6個しか使用しておりません。就寝時と外出時、家にいる間は様子を見て昼用ナプキンをつけています。3日目の明日には、昼用ナプのみで乗り切れるようになるのが理想なんですけどねー、どうでしょう。漢方服用が吉とでるか否か、はてはてほほほーーん。




2012年12月30日日曜日

よいお年を!

12月30日、いよいよ2012年もあと2日で終わりますね。今日は、年賀状に使った写真をアップしてみました。9月中旬に手術前にでかけた極東ロシア・ハバロフスクの朝の風景です。

前回のせーり、術後2回目のせーりからちょうど2週間が過ぎようとしているためか、腹痛が始まっています。「もう全てが嫌になる」ほどの激腹痛ではありませんが、粘膜下筋腫を摘出した後無痛生活が送れる、ということにはなりませんでした。「残念ながら」と書きたいところですが、手術方針を決める際にMRI画像を見ながらの話し合いをしてくれた担当医師リリー先生の言っていたことがそのままずばり!なので、コメントを控えます。。。2回目のせーり・お血量は減っているようでしたので、それが「気のせい」でないように3回目をわくわくして待っています、あと2週間後にやってくるでしょう。

ブログ更新が滞っているところから推測していただければと思いますが、術後は至って順調に過ぎいてきました。こんなことがあった、あんなことが起こった!と報告することが皆無、だったのですよ。喜ばしいことながら、ブログに書くことが無くて、さぼってしまったこともまぎれもない事実、反省します。。。

、、と懺悔をしたところで、晴れやかな気持ちで思念を迎えるぞっ!と。来年もよろしくお願いします、ねー。

2012年12月16日日曜日

診察・入院・治療費!

だーーいぶご無沙汰してしまいました。今年ももうあと半月で終了ーー、あと1週間で、マヤ・カレンダーの切り替えもおきますねー。。。

前回のブログで、「次回は治療にかかった費用を!」なんて予告しちゃったものだから、ブログ更新に相当時間がかかってしまいました。領収証を引っ張り出して、、なんて考えていたら、気が重くなってしまいました。そうこうしている間に、予定より2週間近く遅れて、術後2度目のせーりがようやく来たりしていました。今回は、前回に比べると、お血の量が明らかに少ない!夜用ナプキンは1パックのみ消費、あとは昼用ですよ、昼用!!もう昼用なんて全然使うこともない、、、というのが術前のハルポンのせーりだったのにー。イイ感じです。なんとか今年中に病院通いをすませてしまいたかったので、「せーり2回きたら子宮の中の糸を取りにきなさい」という術後最大の「ノルマ」も無事果たせました。イエイ!ということで、治療費をのせます。

  183,130円 <=筋腫診察・治療費の合計
5月21日 2,910 初診、紹介状無しなので2100円余計に取られる
6月2日 5,910 MRI撮影
6月21日 11,430 治療方針決める、最初のリュープリン注射、MRI結果DVD、血液・尿検査
7月21日 9,830 第2回リュープリン、執刀医と治療方針の確認
8月27日 16,260 第3回リュープリン、粘膜下筋腫の内視鏡確認・撮影、手術前検査(血液、尿、肺)
9月8日 210 手術前検診結果を聞きに行くも、時間外ということで診察受けれず
9月24日 210 手術前検診結果を聞く
10月3日 127,520 入院・手術、2泊3日(4食)
10月27日 1,800 術後検診
12月15日 7,050 2回せーり終了後、子宮内のネットの摘出処置


今のところ、会社が加入してくれていた医療保険から100,000円の還付金があったので、実際の出費は83,130円。健康保険からも、ひと月の支払いが21000円を超えた場合は超過分が戻ってくる、と聞いているので(正直、この還付金については本当に戻ってくるかどうか、自信がない。。。)、10月分の入院・手術代の10万円超が戻ってくると固く信じて待っています。そうすると、全部で3回接種したリュープリン注射代も結果的にカバーされる、という計算になるのですが、本当に戻ってくるのかなあぁぁ。

リュープリン接種時の支払いが1万円を超えたときは、やはり軽く落ち込みました。保険で3割負担じゃないの??そして、意外だったのがこの週末に術後2度目の診察ということで、術後癒着を起こさないようにと子宮内に装着していたネット状か何かの糸を取ってもらう処置が7千円越えだったこと。あー、術前の内視鏡確認の診察が16000円超えだった時も、自動精算機の前で小声で悪態を吐いていたかも。

子宮鏡下手術という選択肢にたどり着く前には、実際にはFUSやUAEといった最先端治療も検討しました。どの治療法を取るかにあたっては、事前に会社の経理・庶務の人に頼んで、会社が加入してくれているソニー生命だとどこまでが保険適用なのかを確認しました。FUSは×、UAEは○。実際に診察・MRIの結果が出た時点で、多発性のハルポンの筋腫状況ではFUSは適用外、UAE治療は子宮機能を損なう恐れがあるのでハルポンの年齢・妊娠の可能性を100%あきらめていないところからして担当診察医がOKを出してくれず。FUSは70万超え、UAEは60万超え、だったような記憶があります、3-4倍の治療費がかかることになったんですねー。

お蔭様で術後、それなりに順調に今日まできておりまする。術後の出血もせーり以外は目立ってなく、腹痛の程度もだいぶやわらいでいます(腹痛が皆無になることは残念ながらなさそうです)。おそらく手術で切開した部分が痛んでいるんだろうなー、というやんわりした新たな痛みがありますが、以前の激腹痛に比べたらへっちゃらのへぇぇ、です。相変わらず、せーりが始まってお血が下り始めると無痛、ありがたい体質は術後も変わりません。

はるぽんの腹から、2012年秋、粘膜下筋腫が摘出されました。それでも、大部分の筋腫はまだワタシのお腹の中にいます。「じゃ、次は半年後ね」という医師の言葉に表れているように、はるぽんと筋腫の共存状態はまだまだ続きますし、このブログもまだまだ発信していきます!これからも末永くよろしくお願いしますねんー。

2012年11月12日月曜日

あっというまに退院 -入院3日目

(注)今日のブログには摘出した筋腫のカラー画像が含まれます。食事中の方、血を見るのが苦手な方はスキップしてください、ね、ね、ねー。

3日目の朝もあっさりと明け、朝の検温の放送でようやく目覚めるほど、ぐっすりと眠っていました。検温と前後して、食事前に血液検査のために若い男性看護士さんがいらっしゃり、さくっと血を抜いて風のようにさっていきました(たぶん。。もう一か月以上前の出来事なので、だんだん細かいことがあやふやに。。)。

入院初日は午前10時に入室、二日目は手術初日のため無し、ようやく3日目にして最初で最後の病院での朝食となりました!なんと予想外のパン食ですー。
きちんとあたためられているため、ロールパン二つはいっている右手前の袋は水滴でくもっています。B級グルメ万歳のハルポンとしては、このロールパンの美味しさに完全にノックアウトでした、付け合せの色味のかなり悪いピーナツバター(左下の小袋)との相性も抜群、またもやあとかたもなく間食!

朝食も終わり後は退院をまつのみ!同室の他の患者さんそれぞれに、術後の退院前検診の流れを看護士さんが説明して回っています。手術が朝一だったハルポン、なぜか退院前検診は最後となり、荷物をすでにまとめきって、あとは着替えて退院!という状態になってから、しばらく時間がたっていきました。10時過ぎにようやく外来のある2階へ移動を促され移動、ほどなく名前が呼ばれ執刀医による内診となりました。
「痛みは?出血は?」
「どちらもほとんどありませんー」
前日の手術時は全身麻酔でしたから、眠っている間にどんな体勢にさせられ、どんなもので何をとられたんだかぁぁぁ!?!?というカンジでしたが、術後の内診はいつも通り、可動式検診イスに腰掛け、あとは機械の動くままに。。。カーテンで顔が見えないようにしきられている向こうで、執刀医の声が聞こえます。
「大丈夫そうですね。止血用の粉を入れておきます」
何、何、なに、なんのため??と戸惑っている間に術後チェックは終了、処置室での顔の見えない検診を終え、次は顔を合わせての問診のため、執刀医の部屋に移動しました。

「結構とれましたよ」
手術前の検診時にも、子宮内の粘膜下筋腫の実物写真をもらいましたが、今回も子宮鏡下摘出手術で切りとった筋腫の写真をもらいました。大きさがわかるうように写真にはメモリがついたメジャーも映しこんでありました。確かに、子宮内に出ていた二コブ分の筋腫と考えると予想以上の量でした。
(拡大するにはクリックしてくださいね、お食事中の方すみません)

執刀医の机にあるコンピューターモニターには手術前に撮ったMRI画像があり、それを見ながら
「まだまだ大きいのものは残っていますからね、これから様子を見ていきましょう。次回は術後2週間くらいしてから術後検診に来てください。えぇ、土曜日でも大丈夫ですよ、ただし午前中のみとなりますので(午後は先生が一人での対応になるので)。今日この後で仕事に戻っても大丈夫ですから」
術後24時間たつかたたないかの患者に、職場復帰にOKサインを出す執刀医、さすが名医!!(と思いたい、けど!?)そして、執刀医との検診が終わった直後にかけよる看護士、「2週間後なので、土曜日といっても13日ではなくてその次の土曜日ということで」と、フォローに余念がありません。

晴れて退院OKサインを執刀医にいただき、一目散で2階の外来フロアーから入院フロアーの4階へ階段で移動。部屋に戻ると、ワタシより先に退院OKをもらっていた同部屋の患者さんが、「どうでした?」と声をかけてくれました。執刀医が同じだったこともあり、退院前検診でもらった摘出筋腫の写真を見せ合ったりもしました。彼女の筋腫の方が量も多く、ハルポンのとは違い全体的に白っぽく粒ぞろいなカンジでした。他人の筋腫と比べてはじめて自分の筋腫の特徴に気が付きます。ハルポンの摘出筋腫は明らかに血液分が多く、赤い印象が残ります。でも、心配になるほどの出血は術後まったくなかったので、気に留めることもなく、お互いの順調な術後を願って別れました。

入院初日に提出しておいた保険証書手続きも順調にすみ、退院する時にはきちんと返してもらいました。やればできるじゃないですが、事務さん!(術後1週間かかるかも、なんて言ってたけど?)パジャマ・室内着から初日入院時に着てきた外出着に着替え、会計手続きが済むのをジリジリ待っていると、看護士さんが「クラナさん、ちょっとナースステーションまでー」と迎えに来ました。何、何ぃぃ??

ナースステーションには、ついさっき退院前検診で顔を合わせた執刀医がいました、あれ?なぜ?激務・多忙な彼が、なぜ、今の時間にナース・ステーションに??

ステーション内の看護士さん・事務さんがワラワラと席と机を開けて、ワタシと執刀医を座らせようとしますが、どうみてもそんなスペースがないので、まー立ち話でー、という雰囲気で、うながされるがまま執刀医のそばに
「えー、先ほど伝え忘れたんですけど」
と言って、メモ用紙の裏に鉛筆書きで子宮の絵を描き始めました。
「筋腫を取り出すために、子宮を切開しているので、傷口同士が癒着しないように、糸が入ってます。術後その糸を取り出す必要があるので、せーりが2回きた後で診察に来てください」
「抜糸、ということですね?」
「いえ、縫い合わせているわけではないので、ひっぱるだけで抜けるような糸です」
「(えぇ)????」
忘れるようなことかぁぁぁぁーー、重要なことなんじゃないのぉぉぉーー。確かに、執刀医ご本人が、超多忙に違いない医部長様が、2階から4階に来てくださったのはありがたいですけどぉぉぉーー。えぇぇい、もう退院しちゃうから、気にしないぃぃ!!

「無事退院しちゃた」メールを親友キャロライン(仮称)に送ったのは、都営線の駅に着いた11時44分。正午過ぎには自宅につき、同じように「もう家についちゃった」メールをカフェ・オーナーのスーちゃんに出しました。二人には入院中にメールでたくさんの元気と心のサポートをいただいたので一番に連絡しました。こんな風に、あっという間に2泊3日の初入院・初手術の子宮粘膜下筋腫の子宮鏡下摘出手術が終了しましたー。無事で何より、めでたし、めでたし。。

次回予告、入院までに治療費と入院費用をお伝えしちゃいます!

2012年11月3日土曜日

24時間ぶりの食事 -入院2日目、粘膜下筋腫摘出手術後(3)


手術室に入出したのが、10月2日火曜日午前9時。手術が終了して自分の部屋に戻ってきたのは、同日の午前11時過ぎ。全身麻酔がほぼ切れて頭も体も「ほぼ完全に」戻ってきたのが、午後12時半過ぎ、携帯のワンセグでCSIを見はじめ、そのあとの午後のロードショーでブルース・ウィルスが画面にでてきたのが午後2時前くらい。そのころには、尿管を外され、手術着からパジャマへの着替えが終わり、術後初の歩行訓練でトイレまで移動。部屋に戻ってからはノートパソコンを取り出して、持参したDVDのドラマ・映画鑑賞を始めました。午後3時過ぎに2本目の点滴が終わった時には、ナースコールを使わず、自分の足で歩いてナース・ステーションまで、空の点滴を持っていきました。開腹しない手術だと、術後の回復がこんなに早い、というか、そもそも体へのダメージがほぼゼロなんですよねぇ!

同室の人が順番に手術室へ向かい、そして1時間過ぎで戻ってきて、その後の経過はハルポンと全く一緒。ある女性は、なれない病院のベッドと寝っぱなしの体勢がたたってか、「手術による痛みはないけど、腰がいたい、この体制が辛い!」と看護士さんに腰痛を訴えていました。それにこたえて、看護士さんがベッドの頭側の高さをあげて楽な姿勢が取れるようにしてあげていて、ついでにハルポンのベッドも同じようにかえていってくれました。

筋腫ができ始めた当時のことだと思うのですが、ハルポンもずいぶん腰痛に悩まされましたが、ここ4-5年はほとんど気にならなくなりました。筋腫は確実に悪化していったので、腰痛が収まった理由も原因もわかりませんが、毎週のようにマッサージに通いたいような痛みが無い分、楽になりました。

ベッドの上で体育座りの体勢でノートパソコンのDVDを見ていたところ、午後5時前くらいに、突然執刀医が病室を訪ねてきて、カーテン越しに顔をひょいっと出しました。声が聞こえなかったわけではないのですが、イヤホーンをしてパソコンの画面をガン見している姿を見られ少々戸惑ってしまいました。
「調子はどうですか、腹痛は、出血は?」カーテン顔出し医師、
「腹痛ほとんどないです、出血もほとんどないです」と体育座りの女。
「。。。大丈夫かな。。?」と、カーテン顔出し医師は、カーテンから今度は手を伸ばしハルポンの腹部をターッチ!そんな雑な触り方ってあるのかしら??と面喰っているうちに、
「あ、大丈夫そうね、痛みないね」と、カーテン顔出し・手出し医師は、来た時と同じように風のように去っていきましたー。

午後6時、夕ご飯です!「歩ける方は取りに来てください」とのアナウンスに、一番乗りで走ってでも取りに行きたいくらいでしたが、同室の他の入院患者・同日手術完了者たちが、付添い・お見舞いの人が夕ご飯をそれぞれ取りに行ってくれているのをカーテン越しにうらやましく思いつつ、最後に自分で歩いて取りに行きました。やったー、24時間ぶりの食事!山盛りの白米は、おかゆに変わっていましたが、それ以外はおかずも味噌汁もあって通常食と同じ!

空になった食器を下げにナース・ステーションへ行き、歯を磨きに洗面に行き、トイレに行き、体育座りでDVDを見続け、前日と全く変わらず午後10時には消灯の時間が来て、部屋の明かりが消されました。真っ暗になった部屋で、ひとりベッドから起きだして、昼間看護士さんがあげてくれたベッドの頭側の傾きを平らに直していたら、どこで見ていたのか看護士さんがすぐに飛んできて「クラナさん、大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。白衣の天使、はばたきのかわりにサンダルばきの音がします。術後12時間後、DVD鑑賞を切り上げて眠りにつきました、痛みもなく、不快な出血の様子もなく。。。入院2日目の夜も、無事にそして驚くほどあっけなくふけていきました。

2012年10月11日木曜日

全身麻酔 -入院の2日目、いよいよ筋腫摘出(2)

入院初日の10月1日、おそらく夕方、手術着を届けてくれた看護士さんだったと思いますが、具体的な手術室の様子を細かく説明してくれました。「外来診察を行っているフロアーに手術室があるのですが、知っていますか?」、はるぽん「はい、知っています」。看護士「あの扉の奥にはちょっと長めの廊下があって、手術室は自動ドアで区切られたさらに奥になります。手術台は、6つ、並んであります、いろいろな機械とかが置いてあってちょっとびっくりするかもしれませんけどー」

入院手続きをすませた後で病室フロアーに案内され、入室した後、当日の引率担当の看護師さんと「処置室」で簡単なブリーフィングを行ったのですが、その際にアンケートのようなものを書かされました。その中の質問項目に、これまで入院経験はあるか、手術経験はあるか、といった質問がありました。ほとんどの項目が「初めて」だったはるぽん、そのアンケート回答を知っていたのでしょうか、のべ3日間でお世話になった看護士さんは、本当に、本当に、親切で優しいかたばかりでした。言葉で表現しきれない、ちょっとしたことばかりなのですが、当人にとっては心の一番奥をぎゅっとだきしめてもらったような感覚を受けていました、心から感謝ーー。

入院2日目、10月2日の午前9時、看護士さんに引率され、同日同時刻帯に手術となる女性とともに、手術室の中に入りました。事前に聞かされていた通り、ドアの左側に廊下が伸びてしました。そこには執刀医と看護士用の大きな下駄箱が2つ並んであり、手術室に入出前に履物を履き替えることになっているようです(クロック靴率高し!)。大きな自動ドアによって廊下と手術室がしきられていました。前に入室していた患者さんが、同じように手術着にソックス・スリッパ姿で並んで待っていました。その横を、執刀医が入室していきます。

ひとり、またひとりと手術室へ吸い込まれていきます。自動ドアが開き誰かが入るたびに、手術室の中でかけられていると思われるクラシック音楽が廊下まで聞こえてきました。「あー、ちょっとだけ落ち着くー」。大腸がんの手術の際の母の姿を思い出しました、思い出すように頭の奥の方に力をいれていました。自分が経験している「初めて」に対して、なんとか使える記憶がないか、参考になる情報はないか、記憶のすべてをひっくりかえしている感じでした。

「あ、見おぼえのある先生だー」、確か彼が担当してくれるお医者さんだと思っていたんだけどなー、でも昨日挨拶にきた先生はまだいないけどーー。そうこうしているうちに、手術室に入る順番がきました。引率看護士さんと一緒に、前に進んでいきます。髪の毛をまとめるための、手術キャップを渡され、装着完了。それぞれに案内されるように、まずは一緒に来た女性の方が先に手術室へ消えていきました。最後に案内されたハルポンの手術台は、一番奥の6つ目。「え、他の5つが並んでいる様子が見えちゃうのかな」と思っていましたが、内扉のようなものがしまっているのか、他の手術台を目にすることも、その患者、執刀医や看護士の姿をみることもないまま、手術台のある空間にたどりつきました。

空いている幅のせまいベッドと、男性の看護士1名、女性の看護士たぶん2名、そしてハルポンの執刀医がその空間に。ここの音楽はクラッシックではなくて、女性の声のJ-POP。「あ、やっぱりあの担当医が執刀なんだー」、昨日挨拶に来た人はどこ??ま、いいっかぁぁー(いいのか、そそれで、いいのかぁあ??)。

緊張しすぎていたたので、事前にどんな会話が交わされたかほとんど思い出せません。無駄なスペースがない、という形容がぴったりの、幅セマのベッドにはタイヤ素材のような形態もタイヤに似た黒色ドーナツ型の低い枕がおいてあるので、どちらが頭になるのか一目瞭然。男性看護士にうながされるままにベッドに横たわり、看護士さんの指示通り、背中を一度起こしつつ、スナップですぐはずれる状態になっている手術着の一部をはずして背中のチェックを受けました(何のためだったの?)。そして、心電図用のコードが左右それぞれの鎖骨付近にとりつけられ、遠くで「ピ、ピ、ピ」という音が聞こえるようになりました。

ようやくこのタイミングで点滴を装着、左側の腕の血管でよさそうな部分をみつけてもらって打ちました、看護士さんの事前警告とおり、針が太く、そして痛い。。。そうこうしているうちに、麻酔担当医(男性)が登場、「まもなく麻酔をいれていきます」宣言とともに、左腕の点滴付近に麻酔用の注射か何かの装着準備がされました。それと前後して、人生初の酸素マスクが、右側に控えていた女性看護士により装着。

この緊張感とドキドキ状態で、麻酔が本当にきくのかぁぁあ(ひょっとしてきかないかも)!!??

冗談ではなく、本気でそう思っていました。口と鼻を覆うようにおかれた酸素マスク、息苦しいったらありゃしない。。3-4年前に沖縄・久米島に10年ぶりくらいでスキューバダイビングをやりにいって、一本目のダイビング時にパニックにおちいった記憶がよみがりました。酸素すえているんだけど、全然安心感なーーーし!

おそらくその恐怖感・ダメダメ感が、ハルポンの体中の毛穴からでていたのでしょう、酸素マスクをおいてくださった看護士さんは、置いた後ずーーーっと、片手をハルポンの右腕にそっと添えていてくれました。ひとりぽっちのハルポン、でも一人じゃないーーー、右腕におかれた掌から伝わるそのぬくもり、、、、。左手の指先に酸素濃度をはかるクリップをつけられ、体内に十分な酸素がきちんといっているかを確認。頭の上のほうの機械から聞こえる規則音、ピ、ピ、ピ。

麻酔医「では、麻酔が入っていきますよー、普通に深呼吸していてくださいねー」。最初の2呼吸は、しっかり自分の意識がありました。注射としてではなく、酸素とともに麻酔が入ってきているかと思うほど、ハルポンの場合「嗅覚」として体内にしみこんでくる麻酔を感じたのですよ。「う、何かをかがされているみたいだ、うぅ、この匂いは何?!」そして一呼吸ごとに、水がとうとうと流れるダムの排水口がキュッキュッと閉じらて最後には水の流れが完全にたたれるような感覚で、意識のチャンネルが閉じられましたーーーー、3呼吸目でもはや戦意消失、4呼吸目ですべてをあきらめ、そして全身麻酔完了ーーー。「死ぬって、こういうカンジのことなのかなー」

看護士さんの声で起こされたのは、それから約2時間後のこと。麻酔で眠っている間は、全く「無」の状態でした、夢もみませんでした。「クラナさーーん、無事終了ですよーーー、気分はいかがですかーー」、ハルポン「あのー、お手洗いに行きたいんですけどーーー」。看護士さん「今は管が入っていますから、大丈夫ですよーーー」。どれだけすごい尿意だったのよぉぉ、アタシぃぃ!

、、、という会話がかわされつつ、いつの間にか病室用のベッドに移動させられた全身麻酔・ハルカ、つきそい家族がいなかったので、そのままベッドごと手術室を出、エレベーターに乗り、4階の病室へ。口には酸素マスクがいまだに装着、右手には点滴が入ったまま、徐々に覚醒する意識、戻ってくる自分を感じつつ、見覚えのある病室と天井、カーテンを目で触れて確かめていました。手術が終わった、終わった、終わった、終わった、終わった、終わった、終わった!

ベッドサイドの棚に置いておいた携帯に手を伸ばし、自分撮りの写真を取り、そのままメールに添付して実家の両親に「無事に終わりました」報告メールをうちました、送信時刻は11時11分。「あ、11時くらいに手術終わったんだー、あれ、手術時間って早ければ30分ちょっと、たいてい1時間ちょっと、って聞いていたんだけどなーー」、微妙に長めの手術時間に「?」と思いつつも、実家の両親とともに保証人に名を連ねた兄にもメールを送信。ほどなく双方から「安心した」との返信がくるーー、と同時に、会社の後輩リンカちゃん(仮称)からも励ましのメール&水やりをお願いしていた植木の写メが届き、それに返信を打つ、、、てなことをしていたせいか、全身麻酔の影響でうつらうつらしていたのはほんの1時間ほどで、12時半くらいからは握りしめていた携帯でワンセグ放送のテレビを見始めました。その様子を見た看護士さん、「もう大丈夫ですかね」と、早めに酸素マスクをはずしてくれました。


手術直後、腹痛や違和感はほとんどありませんでした。入院・手術前の1週間、左下腹部にあった鈍痛、まるでリュープリン注射の影響で、いつもの排卵痛激痛がぼやけたような痛み、手術後に感じた痛みはそれと全く一緒、まるで同じ直線状でつながった痛みのよう。差がわからないのです、Before/Afterのー。本当に手術を受けたのかな、と思うほど。

手術後部屋に戻ってからは、30分おきに看護士さんが様子を見に来てくれました。うーん、お○っこ行きたい!ホントに管から自然に出ているのかなーー、という疑念とともに、限りなく本調子に戻った体力を使ってちょっとだけ起き上がって、相当未知なる状態になっている自分の下半身側を見てみるました。再度着せられたと思われる手術着とT字帯をつけているため、細かい部分は視界には入らないもの、手術着から管が伸びベッドの横に尿溜袋がかけてあるのが見えました。うーーん、それなりにちゃんと出ているよねーー、おっかしいなぁー。。

片手で携帯テレビを見つつ、点滴が終わるのを今か今かと待ち、終わった途端に人生初ナースコール!!「すみませーーん、点滴終わりましたーー」。よし、これで管から解放されるはず、なんとしてもトイレに行くぞ!!といきこんでいたものの、ほどなく来てくれた看護士さんは「点滴もう一本落としますねーー(天使の笑顔)」。えぇぇぇーー、無理無理!!!たまらず、「あのー、お手洗い行きたいんですけどーーー」と本日2度目の「直訴」を試みたところ、「管が入っているので自然にだされるんですけどねー」とコメントしながら、ベッド脇にかけてある尿溜め袋と管を調節して「流れ」をよくしてくれたみたいで、その後はすーっと波が引くように落ち着いていきました、ふーっ。。

その30分後の見回りの際には、「大丈夫そうですね、もうそろそろ歩きましょうか。ついでに着替えましょう」ということで、イエス!尿管からの解放ーーーーー(パタパタパタ、白鳩が100羽くらい飛び立つイメージ)。立ち上がるときに尿管が気になり、よろよろっとガニマタで立ち上がったところ、「大丈夫ですか?」と心配してすぐに手をそえてくれた優しい看護士さん、ハルポンのガニマタ姿を見てすぐに状況を察知して、「最優先」で尿管撤去作業にあたってくれました。逆流を防ぐか何かで管のどこかに水をいれているとのことで、撤去作業はまずは注射を使ってその水を抜き取り、その後管を抜きます。管が入っているなんてそれだけで想像を絶することなので、管を抜いていただいた瞬間のことは、うまい具合に記憶に残っていません。

一時的に点滴をはずしてもらって、看護士さんが用意してくれた温湿タオル3本で体を拭いて、部屋着兼パジャマに着替えました。と同時に人生初T字帯からも解放です。このあたりは今となっては記憶があいまになってしまっているのですが、事前にわたしてあるナプキンがT字帯につけられていたように思います、出血の跡がほとんどありませんでした。再び点滴装着後、点滴をコロコロ引きずりながら、いよいよお手洗いです!!中途半端に広さがあるなーと思っていたトイレ個室も、点滴をひきずりながら入って、納得!そして外側に開くようになっているトイレ個室のドア構造も、納得!尿管をはずしてからの最初のお○っこは緊張しつつでしたが、結局痛みを感じたのはその初回のみ、あとは普通の状態に戻りましたー。

さ、歩くこともまったく苦じゃないし、管からも解放されたし、部屋着に着替えたし、ノートパソコン出してDVD鑑賞しようっと!マック・テイラー見るぞっと!手術終了後4時間後、午後3時のことでしたーー。
(続く)

2012年10月8日月曜日

ばいばい筋腫ちゃん -入院の2日目、いよいよ手術(1)

入院初日の夜は、午後10時の消灯で無事始まりました。もちこんだノートパソコンで海外ドラマの録画DVDを見ていた(ちなみにそれはCSI-NY、吠えろ、マック・テイラー!)ため、一話分を見終わるまで消灯時間をちょっとすぎてしまいました(もちろんイヤーホーンをして鑑賞です、マナー遵守!)。

病院の洗濯したてさっぱりとしたシーツの肌触りは、入院前の弾丸極東ロシア旅行のシベリア特急のシーツを思い起こさせました、行ってよかったシベリア旅行。。。初めての入院とはいえ、これまで家族の入院手術時の見舞いで何度か病室を訪れいたので、入院前の時点でそれなりのイメージ・トレーニングができていました。ぽっち入院(ひとりぼっちで入院して手術に挑むこと)にあたり、それほどの不安感やパニックをおこさず淡々とこれたのはその「お蔭」だと思います。

明け方に、空いていた4つめのベッドに緊急搬送されてきた患者さんがいたため、その物音で完全目を覚ましましたが、それまでもうつらうつら何度か起きていました。窓際のはるぽんのベッドはちょっと寒かったみたいで、緊急搬送された患者さんと看護師さんのやりとりを聞きながら、暖をとろうとカーデガンを着たみたら、またたくまにすとーんと眠ってしまい、午前6時の検温のお知らせ放送で起こされ後も順調に眠ってしまいそうでした。いかん、いかん、前日の手術前打ち合わせで看護師さんに言われていた時間、午前8時半までに手術着を着て準備を整えて、、というにはまだまだ時間の余裕がありましたが、起き上がることにしました。

手術着は、前日に看護師さんが持ってきてくれていて、すでにベッド脇の棚においてあります。パジャマがわりの部屋着を脱いで、手術着に着替えました。肩より長く伸びた髪は、バレッタではなくゴムで結び、あとはT字帯と手術用のソックス。手術日当日は当然朝食は無し、です。前日も午後9時以降は飲食禁止。手術前の緊張からか、食欲はほとんど無く(とはいえ、締め切ったカーテンをすり抜けて届く、他の病室の患者さん用の朝食の匂いにはもちろん反応)、、、手術までの2時間以上、まったくやることがなく、またまたDVD鑑賞、となりました。

真新しい手術用ソックスを病院側が用意してくれて手術着と一緒に配ってくれているので、ビニールから出して、こちらも装着完了。頻繁にメールで応援してくれていたすーちゃん(仮称)いわく「つけないでいいならつけたくない不快な」手術用ソックス、彼女はモモまでの長さと言っていましたが、はるぽんのものはひざ下。前日の打ち合わせ時に看護師さんが足首とふくろはぎをメジャーで測ってサイズを確認、身長164cm、靴のサイズ23.5cmのハルポンのソックスはSサイズでした、それでも全く締め付け感無し、ええ、「間抜けの小足」でございます。残すはT字帯!

出せるものは出しておこうと何度かトイレにたち、ほどなく、同室で同じく手術に挑む他の2患者さんたちには、それぞれ看護師さんが来て点滴が始まっているようでした。「あれ?朝一手術だ、って言われているのに、ハルポンには何もないのかしら??順番変わったのかもねーーー」、いいもん、アタシはマック・テイラー見るから!と腹をくくろうとしたところ、8時半過ぎに看護師さんがやってきて「準備はどうですかー。9時には手術室に行きますので、5分前にはエレベーターの前に来てくださいね」、はるぽん「T字帯って、どっちが前でしたっけーーー」。

なんで、「ふんどし、って言わないんでしょうね」と、前日の手術前打ち合わせに看護師さんに聞いてしまいました。トイレでつけたらーー、という看護師さんの言葉に、「ここ(自分のベッド)で大丈夫です」と、その場で着替え、時計をみながら9時5分前にいざエレベータ前へ。昨日入院手続きが一緒だった女性もいました、彼女は旦那さん、娘さん、そして姉妹と思われる人たち総勢7人くらいですでに待っていました。病室のある4階からエレベーターに乗り2階へ、移動。エレベーターから降りるとすぐ右側に手術室。つきそいの人たちは、2フロアー分のエレベーター・ライドの後、すぐにそこで患者と離されます。初めての手術に挑むハルポン、自分の中にあるべき不安感・逃げ出したい感を、2フロアー分の移動と手術室前の「ちょっとだけのお別れ」やりとりをかわす、同じく手術に挑む女性とその家族の中に紛れ込ませていました。

自分が今感じていること、言葉にできないこと、それらはみんな、これら全くの他人だけどそこにいる一人一人の中にあるー、、、大丈夫、自分で歩いて行ける、手術室の扉の向こう、大丈夫、手術台に横たわってこれから起こることをgo thruできる、大丈夫、あるかもしれない痛み、麻酔の中に消えていくはずだから、大丈夫、これは自分で選択したことだから、、ワタシはこれからの起こることを受け入れる用意ができているー、大丈夫、大丈夫、大丈夫。
(続く)