関連情報検索!

2012年10月11日木曜日

全身麻酔 -入院の2日目、いよいよ筋腫摘出(2)

入院初日の10月1日、おそらく夕方、手術着を届けてくれた看護士さんだったと思いますが、具体的な手術室の様子を細かく説明してくれました。「外来診察を行っているフロアーに手術室があるのですが、知っていますか?」、はるぽん「はい、知っています」。看護士「あの扉の奥にはちょっと長めの廊下があって、手術室は自動ドアで区切られたさらに奥になります。手術台は、6つ、並んであります、いろいろな機械とかが置いてあってちょっとびっくりするかもしれませんけどー」

入院手続きをすませた後で病室フロアーに案内され、入室した後、当日の引率担当の看護師さんと「処置室」で簡単なブリーフィングを行ったのですが、その際にアンケートのようなものを書かされました。その中の質問項目に、これまで入院経験はあるか、手術経験はあるか、といった質問がありました。ほとんどの項目が「初めて」だったはるぽん、そのアンケート回答を知っていたのでしょうか、のべ3日間でお世話になった看護士さんは、本当に、本当に、親切で優しいかたばかりでした。言葉で表現しきれない、ちょっとしたことばかりなのですが、当人にとっては心の一番奥をぎゅっとだきしめてもらったような感覚を受けていました、心から感謝ーー。

入院2日目、10月2日の午前9時、看護士さんに引率され、同日同時刻帯に手術となる女性とともに、手術室の中に入りました。事前に聞かされていた通り、ドアの左側に廊下が伸びてしました。そこには執刀医と看護士用の大きな下駄箱が2つ並んであり、手術室に入出前に履物を履き替えることになっているようです(クロック靴率高し!)。大きな自動ドアによって廊下と手術室がしきられていました。前に入室していた患者さんが、同じように手術着にソックス・スリッパ姿で並んで待っていました。その横を、執刀医が入室していきます。

ひとり、またひとりと手術室へ吸い込まれていきます。自動ドアが開き誰かが入るたびに、手術室の中でかけられていると思われるクラシック音楽が廊下まで聞こえてきました。「あー、ちょっとだけ落ち着くー」。大腸がんの手術の際の母の姿を思い出しました、思い出すように頭の奥の方に力をいれていました。自分が経験している「初めて」に対して、なんとか使える記憶がないか、参考になる情報はないか、記憶のすべてをひっくりかえしている感じでした。

「あ、見おぼえのある先生だー」、確か彼が担当してくれるお医者さんだと思っていたんだけどなー、でも昨日挨拶にきた先生はまだいないけどーー。そうこうしているうちに、手術室に入る順番がきました。引率看護士さんと一緒に、前に進んでいきます。髪の毛をまとめるための、手術キャップを渡され、装着完了。それぞれに案内されるように、まずは一緒に来た女性の方が先に手術室へ消えていきました。最後に案内されたハルポンの手術台は、一番奥の6つ目。「え、他の5つが並んでいる様子が見えちゃうのかな」と思っていましたが、内扉のようなものがしまっているのか、他の手術台を目にすることも、その患者、執刀医や看護士の姿をみることもないまま、手術台のある空間にたどりつきました。

空いている幅のせまいベッドと、男性の看護士1名、女性の看護士たぶん2名、そしてハルポンの執刀医がその空間に。ここの音楽はクラッシックではなくて、女性の声のJ-POP。「あ、やっぱりあの担当医が執刀なんだー」、昨日挨拶に来た人はどこ??ま、いいっかぁぁー(いいのか、そそれで、いいのかぁあ??)。

緊張しすぎていたたので、事前にどんな会話が交わされたかほとんど思い出せません。無駄なスペースがない、という形容がぴったりの、幅セマのベッドにはタイヤ素材のような形態もタイヤに似た黒色ドーナツ型の低い枕がおいてあるので、どちらが頭になるのか一目瞭然。男性看護士にうながされるままにベッドに横たわり、看護士さんの指示通り、背中を一度起こしつつ、スナップですぐはずれる状態になっている手術着の一部をはずして背中のチェックを受けました(何のためだったの?)。そして、心電図用のコードが左右それぞれの鎖骨付近にとりつけられ、遠くで「ピ、ピ、ピ」という音が聞こえるようになりました。

ようやくこのタイミングで点滴を装着、左側の腕の血管でよさそうな部分をみつけてもらって打ちました、看護士さんの事前警告とおり、針が太く、そして痛い。。。そうこうしているうちに、麻酔担当医(男性)が登場、「まもなく麻酔をいれていきます」宣言とともに、左腕の点滴付近に麻酔用の注射か何かの装着準備がされました。それと前後して、人生初の酸素マスクが、右側に控えていた女性看護士により装着。

この緊張感とドキドキ状態で、麻酔が本当にきくのかぁぁあ(ひょっとしてきかないかも)!!??

冗談ではなく、本気でそう思っていました。口と鼻を覆うようにおかれた酸素マスク、息苦しいったらありゃしない。。3-4年前に沖縄・久米島に10年ぶりくらいでスキューバダイビングをやりにいって、一本目のダイビング時にパニックにおちいった記憶がよみがりました。酸素すえているんだけど、全然安心感なーーーし!

おそらくその恐怖感・ダメダメ感が、ハルポンの体中の毛穴からでていたのでしょう、酸素マスクをおいてくださった看護士さんは、置いた後ずーーーっと、片手をハルポンの右腕にそっと添えていてくれました。ひとりぽっちのハルポン、でも一人じゃないーーー、右腕におかれた掌から伝わるそのぬくもり、、、、。左手の指先に酸素濃度をはかるクリップをつけられ、体内に十分な酸素がきちんといっているかを確認。頭の上のほうの機械から聞こえる規則音、ピ、ピ、ピ。

麻酔医「では、麻酔が入っていきますよー、普通に深呼吸していてくださいねー」。最初の2呼吸は、しっかり自分の意識がありました。注射としてではなく、酸素とともに麻酔が入ってきているかと思うほど、ハルポンの場合「嗅覚」として体内にしみこんでくる麻酔を感じたのですよ。「う、何かをかがされているみたいだ、うぅ、この匂いは何?!」そして一呼吸ごとに、水がとうとうと流れるダムの排水口がキュッキュッと閉じらて最後には水の流れが完全にたたれるような感覚で、意識のチャンネルが閉じられましたーーーー、3呼吸目でもはや戦意消失、4呼吸目ですべてをあきらめ、そして全身麻酔完了ーーー。「死ぬって、こういうカンジのことなのかなー」

看護士さんの声で起こされたのは、それから約2時間後のこと。麻酔で眠っている間は、全く「無」の状態でした、夢もみませんでした。「クラナさーーん、無事終了ですよーーー、気分はいかがですかーー」、ハルポン「あのー、お手洗いに行きたいんですけどーーー」。看護士さん「今は管が入っていますから、大丈夫ですよーーー」。どれだけすごい尿意だったのよぉぉ、アタシぃぃ!

、、、という会話がかわされつつ、いつの間にか病室用のベッドに移動させられた全身麻酔・ハルカ、つきそい家族がいなかったので、そのままベッドごと手術室を出、エレベーターに乗り、4階の病室へ。口には酸素マスクがいまだに装着、右手には点滴が入ったまま、徐々に覚醒する意識、戻ってくる自分を感じつつ、見覚えのある病室と天井、カーテンを目で触れて確かめていました。手術が終わった、終わった、終わった、終わった、終わった、終わった、終わった!

ベッドサイドの棚に置いておいた携帯に手を伸ばし、自分撮りの写真を取り、そのままメールに添付して実家の両親に「無事に終わりました」報告メールをうちました、送信時刻は11時11分。「あ、11時くらいに手術終わったんだー、あれ、手術時間って早ければ30分ちょっと、たいてい1時間ちょっと、って聞いていたんだけどなーー」、微妙に長めの手術時間に「?」と思いつつも、実家の両親とともに保証人に名を連ねた兄にもメールを送信。ほどなく双方から「安心した」との返信がくるーー、と同時に、会社の後輩リンカちゃん(仮称)からも励ましのメール&水やりをお願いしていた植木の写メが届き、それに返信を打つ、、、てなことをしていたせいか、全身麻酔の影響でうつらうつらしていたのはほんの1時間ほどで、12時半くらいからは握りしめていた携帯でワンセグ放送のテレビを見始めました。その様子を見た看護士さん、「もう大丈夫ですかね」と、早めに酸素マスクをはずしてくれました。


手術直後、腹痛や違和感はほとんどありませんでした。入院・手術前の1週間、左下腹部にあった鈍痛、まるでリュープリン注射の影響で、いつもの排卵痛激痛がぼやけたような痛み、手術後に感じた痛みはそれと全く一緒、まるで同じ直線状でつながった痛みのよう。差がわからないのです、Before/Afterのー。本当に手術を受けたのかな、と思うほど。

手術後部屋に戻ってからは、30分おきに看護士さんが様子を見に来てくれました。うーん、お○っこ行きたい!ホントに管から自然に出ているのかなーー、という疑念とともに、限りなく本調子に戻った体力を使ってちょっとだけ起き上がって、相当未知なる状態になっている自分の下半身側を見てみるました。再度着せられたと思われる手術着とT字帯をつけているため、細かい部分は視界には入らないもの、手術着から管が伸びベッドの横に尿溜袋がかけてあるのが見えました。うーーん、それなりにちゃんと出ているよねーー、おっかしいなぁー。。

片手で携帯テレビを見つつ、点滴が終わるのを今か今かと待ち、終わった途端に人生初ナースコール!!「すみませーーん、点滴終わりましたーー」。よし、これで管から解放されるはず、なんとしてもトイレに行くぞ!!といきこんでいたものの、ほどなく来てくれた看護士さんは「点滴もう一本落としますねーー(天使の笑顔)」。えぇぇぇーー、無理無理!!!たまらず、「あのー、お手洗い行きたいんですけどーーー」と本日2度目の「直訴」を試みたところ、「管が入っているので自然にだされるんですけどねー」とコメントしながら、ベッド脇にかけてある尿溜め袋と管を調節して「流れ」をよくしてくれたみたいで、その後はすーっと波が引くように落ち着いていきました、ふーっ。。

その30分後の見回りの際には、「大丈夫そうですね、もうそろそろ歩きましょうか。ついでに着替えましょう」ということで、イエス!尿管からの解放ーーーーー(パタパタパタ、白鳩が100羽くらい飛び立つイメージ)。立ち上がるときに尿管が気になり、よろよろっとガニマタで立ち上がったところ、「大丈夫ですか?」と心配してすぐに手をそえてくれた優しい看護士さん、ハルポンのガニマタ姿を見てすぐに状況を察知して、「最優先」で尿管撤去作業にあたってくれました。逆流を防ぐか何かで管のどこかに水をいれているとのことで、撤去作業はまずは注射を使ってその水を抜き取り、その後管を抜きます。管が入っているなんてそれだけで想像を絶することなので、管を抜いていただいた瞬間のことは、うまい具合に記憶に残っていません。

一時的に点滴をはずしてもらって、看護士さんが用意してくれた温湿タオル3本で体を拭いて、部屋着兼パジャマに着替えました。と同時に人生初T字帯からも解放です。このあたりは今となっては記憶があいまになってしまっているのですが、事前にわたしてあるナプキンがT字帯につけられていたように思います、出血の跡がほとんどありませんでした。再び点滴装着後、点滴をコロコロ引きずりながら、いよいよお手洗いです!!中途半端に広さがあるなーと思っていたトイレ個室も、点滴をひきずりながら入って、納得!そして外側に開くようになっているトイレ個室のドア構造も、納得!尿管をはずしてからの最初のお○っこは緊張しつつでしたが、結局痛みを感じたのはその初回のみ、あとは普通の状態に戻りましたー。

さ、歩くこともまったく苦じゃないし、管からも解放されたし、部屋着に着替えたし、ノートパソコン出してDVD鑑賞しようっと!マック・テイラー見るぞっと!手術終了後4時間後、午後3時のことでしたーー。
(続く)

0 件のコメント: