先週の土曜日から、青山学院大学で公開講座を受講しています。講座のテーマは「キリスト教と文化」で、5週続きます。さすが都会の大学、立派な校舎、校内のイチョウ並木(写真)もとっても雰囲気があります。表参道での週末はちょっとした刺激にもなっています。
参加者の方々の年齢の高さにびっくり!、いつまでも学ぶことを止めない、その探究心に敬服しつつ、講座を満喫しています。第1週目は、慶応の名誉教授による、美術史学、宗教美術がスライド映写されて、まさに自分の大学時代の講義そのまま!心地いいーーー。第2週目の先週の授業は、青学の先生によるもっとキリスト教に中心がおかれ、宗教と広い意味で社会・狭い意味で個人とのつながりを話されていました。
以前、同じように「既存の宗教に帰依する違和感」を語った友人との会話、「キリスト教、素晴らしいのはわかるんだけど、クリスチャンになると、自分の世界がソコに限られてしまいそうで、ねぇ」。その後クリスチャンになった彼女は、「ハルちゃん、逆だったよ、逆。クリスチャンになったら、世界が無限になった!」と言っていたのが非常に印象的でした。。。。で、この時の会話をふと思い出させてくれたのが、今回の講義で話されたあること。人間の社会、もしくは個人の人生において、何が分母となるのか、それによって、その社会・人が持てるもの・可能性、全ての大きさが変わってくる、ということ。分母に「自己犠牲の精神/イエス・キリスト」があることで、分子となるべく「自己愛」は「相互愛」に変わる、と講義をされていた東方教授は話されていました。
三十路・独身・とりあえず実家からは独立している自分。なんとか一人でも頑張ろう、生きていこう、としていますが、どんなに自分を叱咤激励しても、所詮自分の世界は広がらないんですよね。自分が生きている土台、分母にあたるものがどんなものなのか、もしくは分母になるものに何を受け入れるのか、受け入れるべきなのか、、、講義を受けた後に行った巣鴨酵素風呂のおがぐずの中で、しばし考えていました。そしてどうしてもたどりつく結論、「この子宮筋腫は宝だ」ということ。筋腫ちゃんたちをワタシの分母に入れておくことによって広がるワタシの分子容量。筋腫ちゃんたちの大きさはできれば小さくしたいけど、自分の健康管理や食生活の改善に大きく貢献してくれているのはまぎれもない事実。筋腫からくる痛みで、せーり痛その他女性特有の苦しみを味わっている全ての女性への共感も持てるようになりました。「ワタシ」という人間を構成する分母に、「子宮筋腫」は無くはならないものなんだな、と、また、その存在のおかげで自分がちょっと大きく・広くなれたんだなーと、全身かぶとむし状態の酵素風呂入力中、ひとり感動しておりましたーーー。
、、ということで、今回は記念すべき100回目のブログ!分母が3桁台に乗りました。これからも末永くよろしくお願いしますー。「おめでとう!」コメント、どしどし送ってね!!
PS:太白胡麻油によるウガイ、やってみました!朝がいいということで、だらだらできる日曜の朝、チャレンジ。特にこれといってなんの変化も感じられないので、しばらく続けてみようと思います。とりあえず、親知らずの痛みがとれますように!
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